人生の幸せを自分で設計する方法
人生戦略研究室リーダーの翔太です。
この研究室では、自分の人生全体を幸せにするために、どうやって人生をデザインしていくかを研究していきます。
女性攻略という最初の挑戦を超えた上で、改めてどういう人生を描きたいのか、どういう目標を立てて、どう人生を走っていきたいのかを、魅力的な男性像に向けて一緒に考えていきましょう。
ライフスタイル設計においてぶち当たる壁
今、皆さんは目標を立ててアクションを考えていると思います。セオリー1-1の内容を踏まえ、理想の人生を描き、それを目標に落とし込んでアクションプランを立てているはずです。それは結局、幸せになりたいからですよね。
ただ一方で、幸せな人生のライフスタイルを描いて、目標を立てているにもかかわらず、こういう悩みを抱えている人が多いのではないでしょうか。
- 今何を頑張ればよいのかわからない
- 昔ほど死ぬ気で何かを達成したいという意思が燃えない
- 目標を立てているものの、モチベーションが沸かない
- やる気を感じるはずなのに、奥底では「しんど…」「なんでやらなあかんの?」と思っている
- 身の回りの人の役に立ちたいけど、どう役に立てばよいか、自分なんかが役に立てるのかわからない
- 生きているだけで、周りの人を見ていると焦燥感に駆られる
- 外的には一定の成果や安定を得ているが、満たされている感覚と「これでいいのか?」という虚無感が共存している
これらの様々な悩みは、大きく2つの原因に集約できます。
- 自分の内的な本音の欲求(内欲)を認知できていない
- 内欲ベースの人生設計ができておらず、明確な課題に落とし込めていない
このままでは待ち受ける2つのリスク
この原因を放置したまま人生を進めていくと、2つの大きなリスクが待ち受けています。
1. マネーリスク
生きるために必要な資金源、どれだけのお金が必要なのかを把握できないことです。
人生計画が立てられていないので、人生の予定が後々になって崩れ、苦しいライフスタイルを強いられるリスクをはらんでいます。
例えば、皆さんは女性攻略や男磨きのために日々研鑽を積んでいると思います。
その中で、最終的なゴールイメージ、例えばいろんな女性と過ごせるライフスタイルや、子どもを作って幸せな家庭を築きたいという未来を描いているでしょう。
ではその理想にどれくらいのお金がかかるかを考えたことがあるでしょうか?
いくつか例を紹介します:
- 子育て費用: 子どもを一人産んで成人に育て上げるまでに必要な養育費・教育費の総額は、今の物価で3,000万~4,000万円と言われています。複数の子どもが欲しい場合は、さらに倍増します。
- 老後の資金: 2022年度の生命保険文化センターの調査によると、ゆとりのある老後の生活を送るために必要な月々の費用は平均で37.9万円、今の物価ではおよそ40万円と試算されます。 65歳から100歳までの35年間で計算すると、 40万円×12ヶ月×35年=1億6,800万円が必要です。
つまり、子ども一人と老後の生活だけでも、約2億円が必要になります。これは自分が死ぬまでに、自分の生活費以外で2億円を稼ぐマネーゲームに参加しているようなものです。
このお金をどうやって準備するのか、今の時点からどう計画を立てていくのかという視点がなければ、計画的に2億円を集めることはできません。漠然とした不安を明確な課題に落とし込むことが大切なのです。
2. 死にざまリスク
このリスクは、自分が本音で何を望んでいるのか、どうしたいのかという判断軸が見えていないことから発生します。
言い換えれば、自分の内なる欲求(内欲)を理解できていないがゆえに、自分の本心が望んでいる人生から遠ざかってしまう危険性のことです。
自分の幸せや内欲がわからない状態だと、何が起きるでしょうか?
そうです。自然と周りの「優れている人」と自分を比較して焦る人生を送ることになります。SNSで見る華やかな生活を送る人、テレビで見る成功者、会社の出世頭…
- 「あの人はあんなに稼いでいるのに、自分は…」
- 「あの人はあんなに自由な生活をしているのに、自分は…」
- 「あの人は家族と幸せそうなのに、自分は…」
この比較の罠には終わりがありません。なぜなら、自分の内欲という物差しがないため、常に他者という外部の基準で自分を測り続けることになるからです。
- 「これをやれば評価されるだろう」
- 「この資格を取れば認められるだろう」
- 「この会社に入れば安心だろう」
- 「このレベルの女性を攻略できれば自信になるだろう。自慢できるだろう」
…こういった社会的評価を求めて生きていくわけです。
しかし、残酷な真実があります。それは、社会的評価は決して満足をもたらさないということ。なぜなら、それは自分の内欲に基づいていないからです。
そうしてある程度の地位や名誉、財産を手に入れたとしても…それは結局、自分の内欲と関係のない行動の結果です。すると何が起きるでしょうか?
「なんでこんなことしてたんだろう…」 「何のためにこんなに頑張ったんだろう…」
という虚無感が、最期の贈り物として待っているのです。
実際、多くの終末期医療の現場で働く医師や看護師が証言しています。人生の最期に後悔する内容のトップは「もっと自分の望む人生を生きればよかった」というものだと。
これが「死にざまリスク」の本質です。人生の最期に、取り返しのつかない後悔を抱えてしまうリスク。
幸せな人生をデザインするために
この2つのリスクを回避し、自分なりの魅力的で豊かな人生をデザインするために、次のステップが重要です
- 自分の内的な欲求(内欲)を見つけ、言語化する
- それが満たされた人生がどういう状態なのかというビジョンを言語化する
- 10年後、20年後、30年後などの定点でどういう状態になっていればよいかという目標を立てる
- その目標に向かって楽しみながら挑戦していく
これを実現するために、この人生戦略研究室では以下の内容を探求していきたいと考えています。
- 自分の内欲を言語化する方法と欲求の全体像を理解する
- 内欲を基軸に幸せな自分の未来を言語化する(ビジョンの考え方)
- それを実現するための目標設定と実行の技術
これらによって、他人の成功モデルに振り回されるのではなく、自分自身のありたい人生像を明確にすることができます。
また、自分の人生を自分のものとして生きるための道筋を設計する力も身につきます。
何より大切なのは、自分の人生が常に満足できる状態に近づくことです。みんなで一緒に、自分の幸せな人生をデザインする考え方を模索していきましょう。
自分の幸せの源泉である「内欲」を見つける
まず、最初の目的である「自分の幸せの源泉である内欲を見つける」という部分について言及していこうと思います。
そもそも「幸せ」という状態が、改めてどういう状態なのかを定義しておきましょう。
幸せとは、自分の内的な本音の欲求(これを「内欲」と呼びます)が満たされている状態のことです。
自分が本心から、社会的な建前や周りからの評価と関係なく、心が踊ること、ワクワクすること、幸せを実感・かみしめられる状況を満たせていれば、幸せを感じることができます。
充実感であったり、安心感であったり、様々な要素の複合によって、幸せを全体として感じられるということですね。
これを実現するためには、この自分の内欲を言語化する必要があります。
欲求の全体像の仕組み
では、そもそもこの内欲って何なのか?もっと言うと、欲求というのは何なのか、内欲以外にもあるのか?その欲求の全体像から、まず仕組みを知る必要があります。
これはここまでのセオリーで学んだ原則と同じですね。
まず仕組みを知り、現状を正しく把握し、そして理想を定義し、差分となる課題を明確化して、アクションプランを立て、行動していく。その原則と全く同じです。
今回でいくと、幸せになる仕組み、自分の幸せの仕組み、そしてそもそも人間が持つ欲求の仕組みというのを知りましょう、ということです。
これまで就活や転職、あるいはセオリー1-1で取り組んだ自己分析のとき、多くの人が自分の理想や目標を設定しています。
誰もが「自分らしい生き方」や「自分に合った仕事」を見つけようと努力するわけですね。
しかし、ほとんどの人はこの自己分析のプロセスで重大な間違いを犯しています。
それは何かというと、
「自分の本当の欲求」すなわち内欲と、
それと対になる「社会からの期待をベースにした外発的な欲求」すなわち外欲
この2つの欲を混同してしまうことです。
例えば、
- 「年収1000万円を稼ぎたい!」という目標設定 ← 高収入の人はみんな幸せであるという社会のバイアス
- 「なんでもいいから有名企業に就職したい」という欲望 ← 名の知れた会社に入れば周囲から認められるという外的評価への依存
- 「安定した会社員を選ぶ」という決断 ← 本当は起業したいけど周囲の安心を優先
これらはすべて、自分の内なる欲求よりも、社会の評価軸を優先させた例です。つまり「自分が幸せを感じるかどうか」よりも「周囲からどう評価されるか」を重視してしまっているのです。
このように、私たちの多くが無意識のうちに「常識」や「世間体」といった社会的な価値観を自分の幸せの判断基準に取り入れています。
しかし、これでは本当の意味での自己実現や幸福感は得られないのです。
では、どうすれば自分の本当の欲求、つまり内欲に基づいた人生設計ができるのでしょうか?
それには、まず人間が形成する、欲求の全体像を理解し、「社会的な評価やバイアスから発生している外発的な欲求」と「自分自身の内なる欲求」を区別できるようになる必要があります。
これから、自分の本当の幸せの源泉である内欲の仕組みについて、より深く掘り下げていきましょう。
そして、社会からの期待や評価に惑わされることなく、あなた自身が本当に望む人生を見つけるための道筋を一緒に探っていきましょう。
内欲と外欲 – 人間の二つの欲求
ではまず、人が形成する欲求の全体像を理解していきましょう。
ここまでで簡単には触れましたが、人間の欲求には「内欲」ともう一つ、その名前の通り、対となる「外欲」という二つの欲が存在します。
内欲とは?
内欲とは、世間一般の社会性や道徳などとは関係なく、本人が本心で思っている真なる欲望です。いわゆるエゴイズム、自己中心的な欲求ですね。
この内欲の最大の特徴は、他者や常識などの制約や期待に縛られていないこと。そして何より、行動それ自体が目的になっているという点です。
「これをすること自体が楽しい」「これをやること自体に意味がある」と感じる、そんな純粋な欲求ですね。
例えば、小さい頃に砂場で遊んでいた時のことを思い出してみてください。
誰に言われるでもなく、ただ砂の感触を楽しみながら山を作ったり、トンネルを掘ったり。そこには「〜のために」という理由はなく、ただそれをすること自体が純粋に楽しかった。そんな感覚こそが内欲の本質です。
もう少し大人の例で言うと、趣味に没頭するときの感覚もそうですね。
好きな音楽を聴いているとき、好きなゲームに熱中しているとき、夢中になって本を読んでいるとき、そこには「社会的評価のため」とか「誰かに認められるため」という外的な動機はなく、ただそれをすること自体が喜びであり、充実感をもたらしてくれます。
内欲は私たちの本能的な欲求とも深く関わっています。美味しいものを食べたい、心地よいものに触れたい、好奇心を満たしたい、安全でいたい…こういった基本的な欲求も、社会的な評価とは関係なく、人間が生まれながらに持っている内欲の一部なのです。
これらの内欲に共通するのは、「結果」ではなく「過程」に喜びを見出す点です。行動すること自体が報酬となり、満足感をもたらしてくれます。
だからこそ、内欲に従って行動している時、私たちは「今ここ」の瞬間に集中し、時間を忘れるほどの没入感を体験することができるのです。
そして、この内欲こそが私たちの本当の幸せの源泉となるものなのです。
外欲とは?
一方で「外欲」というのは、社会性が意識的あるいは無意識的に混入した欲望です。
往々にして結果やゴールベースになっていることが多く、社会性や倫理観を取り入れた欲求になります。
外欲の特徴は「未来の結果ありき」という点です。つまり、「こうなりたい」「これを達成したい」という結果を先に設定し、そのために行動するという逆算型の動機づけになっています。
例えば、もっと稼ぎたいとか、周りに尊敬されるような人になりたいとか、羨ましがられたいとか、今より高いレベルの女性を攻略できるようになりたいといった欲求ですね。
この外欲は、私たちの社会生活の中で自然と形成されていきます。
「あの人のような地位に立ちたい」「あの人のように成功したい」「あの人のように評価されたい」と、常に他者との比較や社会的な成功の基準を参照しながら育っていくのです。
外欲の2つ目の特徴として、「量的な向上」を求める傾向があります。「もっと多く」「もっと上に」「もっと良く」といった、数値や序列で表せるような目標設定をしがちです。
そのため、外欲で動機づけられた行動は、ある種の「終わりなき競争」に陥りやすいという特徴も持っています。
現代社会では、SNSの「いいね」の数や、年収、肩書き、所有物などを通じて、こうした外欲が刺激される機会が非常に多くなっています。
自分の価値を外部からの評価で測る習慣が身についていくと、外欲ベースで生きる傾向が強くなっていくのです。
それでは、この内欲と外欲、なぜ2つ存在するのか?それぞれどういう意図や目的を持って形成されてきたのか?これについて、この2つがどう形成されるのかというメカニズムから紐解いていきます。
内欲の形成プロセス
まず、内欲の形成過程です。内欲の形成過程は大きく2つのフェーズがあり、
- 先天的な脳の気質(遺伝的な要因も含む先天的な要素)
- 生まれてからの後天的な人生活動による刺激
があります。
1. 先天的な脳の気質
人間は生まれつき、それぞれ異なる気質や傾向を持っています。
例えば:
- 新しい刺激に対してワクワクしやすい探究型の人
- 安定や秩序を好み、慎重に行動するタイプの人
- 人との交流からエネルギーを得る外交的な人
- 一人で深く考えることに喜びを感じる内省的な人
これらの傾向は、胎児期から乳幼児期にかけての脳の形成段階でかなり決定づけられています。
ちょうど肌質や歯の強さといった身体的特徴と同様に、先天的な個体差として存在します。
脳内の神経伝達物質、特にドーパミンやセロトニンなどの分泌量や反応性は、遺伝的要因によって個人差があります。
例えば、ある人にとっては冒険的な活動がドーパミンを大量に放出させ快感をもたらす一方で、別の人にとっては同じ活動が不安や緊張を引き起こすこともあります。
このような先天的な脳の仕組みが、「何に対して自然と興味を持つか」「どういう状況で心地よさを感じるか」という個人の基本的な嗜好性を形作っています。
2. 生まれてからの後天的な人生活動による刺激
人生の歩みの中で、私たちは無数の経験や出来事に遭遇します。特に幼少期から青年期にかけての体験は、内欲形成に大きな影響を与えます。
自分の生活環境や与えられた機会の中で、偶然にも自分の先天的な気質に合った活動や環境に出会うことがあります。
例えば:
- 好奇心旺盛な子どもが、偶然立ち寄った博物館で昆虫の展示に魅了される
- 音楽に対して志向性のある子どもが、学校の音楽の授業で初めて楽器に触れて才能を開花させる
- 分析的な思考を持つ子どもが、パズルやゲームを通じて論理的思考の喜びを発見する
先天的な気質と偶発的な体験が組み合わさると、「これ、おもしろいやん!」という気づきが生まれます。この瞬間、脳内では強い報酬シグナルが発生し、その活動と喜びが結びつきます。
この内的報酬が繰り返されることで、特定の活動や状態に対する強い欲求として内欲が確立されていきます。
外欲の形成プロセス
1. 内欲などに基づく行動の出発点
人間は本来、自分の内側から湧き上がる興味・関心(内欲)によって行動を始めます。
これは「面白そう」「やってみたい」といった純粋な衝動に基づくものです。
2. 社会的評価との接触
しかし、人間は社会的動物です。共同体の中で生きる以上、様々な「外圧」—すなわち評価、禁止、推奨、期待といった社会からの影響—にさらされながら生きています。
子どもの頃から「これはやってはいけません」「これは素晴らしいことです」といった言語的・非言語的なフィードバックにさらされ、その中で「これは良い」「これは悪い」といった判断基準を学習していきます。
蛇足ですが、ここに外欲が「結果志向」になる理由があります。 外欲は常に「結果ありき」で動機づけられます。なぜなら、社会からの評価は常に結果を基準に下されるからです。
「これはしてはいけません」と言われるとき、その裏には「こういう結果が起こるから」という因果が必ず存在します。行動を制限したり、評価したりする際の根拠が”結果”であるため、外欲で動く人間も自然と結果を重視するようになります。
3. 外圧への適応と学習
行動に対して褒められる・怒られるという経験を通じて、「こうすれば褒められる」「これは避けた方がいい」といった学習が形成されていきます。
このプロセスを通じて、当初は内欲に基づいていた行動が、次第に「社会的な評価を得るため」「怒られないため」といった外的動機に基づいて行われるようになっていきます。
4. 評価基準の内面化
この学習が繰り返される中で、外部の評価が次第に無意識にまで染み込み、社会的な基準が自分の中の価値観として取り込まれていきます。
この段階では、自他の境界が曖昧になり、「外部の価値観 ≒ 自分の欲求」と誤認するようになります。
このようにして形成された”社会的評価を内面化した欲求”が「外欲」です。本来は他者の評価基準であるにもかかわらず、それを自分の意思と誤解してしまう構造が生まれるのです。
3つの代表的な外欲の例
外欲が自分の中に溶け込みすぎると、次の3タイプのいずれか、あるいは複数の思考回路が脳に形成されていきます。
1. 外欲洗脳型
社会的に”良い”とされているものを、何の疑問も持たずに盲目的に追い求めてしまうタイプです。
自分の内側から湧き上がる声に耳を傾けるのではなく、「世間ではこれが正しいとされている」という外部の価値基準をそのまま受け入れ、それに従って生きています。
例えば、「一流大学に入るべきだ」「大企業に就職するのが勝ち組だ」「年収は高ければ高いほど良い」「結婚して子どもを持つのが普通だ」「モテる男が最高の男だ」といった、いわゆる”世間の常識”や”一般的な成功の定義”を無批判に受け入れてしまうのです。
この状態の人の特徴は、自分の本当の気持ちや内側から湧き出る欲求(内欲)に気づかなくなっていることです。内欲の声はすっかり外欲の大きな声に覆い隠され、もはや聞こえなくなっています。
これは「洗脳」とも言える状態です。なぜなら、自分の中に「こうすべきだ」という強固な価値観が植え付けられているにも関わらず、それが本当に自分由来のものなのか、外部から与えられたものなのかを区別できなくなっているからです。
例えば、ある男性がハイスペック女性ばかりを追いかけているとします。周りからは「良い女性をゲットしている」と羨ましがられるかもしれません。しかし本人の内側を掘り下げると、実は「静かな環境で一緒に趣味を楽しめる女性が好き」という本音があるかもしれないのです。
しかし、外圧洗脳型の人はその本音に気づきません。自分の本当の気持ちよりも「世間が価値があると判断するもの」を優先してしまうからです。結果として、たとえ社会的に認められるような成果を得たとしても、心の奥には「なんだか違う」という違和感が残り続けることになります。
このタイプの最大の問題点は、「自分の本当の幸せとは何か」という問いを立てることすらできなくなってしまうことです。自分にとっての幸せを考える前に「これが正解だ」という答えが刷り込まれているため、そもそも問いを持つ余地がなくなってしまうのです。
2. 内欲加工型
本来の内欲を、社会的に正当化できる形に加工してしまっているタイプです。
このタイプは本来の内欲をそのまま外に出すことにためらいや不安を感じ、それを社会に受け入れられる形に変換して行動してしまうタイプです。表面上は自分がやりたいことをやっているように見えますが、実際にはその動機は社会的評価を得るための加工済みの欲求であり、純粋な内欲とはずれていることが多いのが特徴です。
最初は内欲ベースでこれをやってみたい、自分はこうしたいという純粋な衝動は生まれるんですが、次の瞬間には「でもそれって変に思われないか」とか「周りから冷ややかな目で見られたらどうしよう」といった、社会的な視線や評価の不安が立ち上がり始めます。
そして、本音のままでは通用しない、評価されないと判断し、社会的に正当化できる理由で覆い隠してしまうことがあります。
その結果、加工された内欲を表現することになるため、他者からはそれが本心だと受け取られてしまいます。そして、返ってくる評価やフィードバックも加工された欲求に対するものなので、自分が本当に望んでいたものとは異なる反応や評価が返ってくることになります。
周囲からは認められ、うまくいっているように見えても、どこかで満たされなさや違和感が残り続ける感覚に陥ります。それは、得ている報酬や評価が本当の内欲に応えたものではないからです。
そのため、自分が本当にやりたかったことは何だったのかという感覚が曖昧になり、自己認識の揺らぎ、モチベーションの低下、そして自己矛盾に苦しむことになります。
さらに厄介なのは、本人が繰り返し加工された言葉を発し続けるうちに、それが自分でも本音なのか建前なのか分からなくなってしまうことです。加工して、他者に説明している表面的なストーリーと、心の奥にある本音・内欲とのギャップにますます気づけなくなるという悪循環に陥ります。
具体例を見せたほうが分かりやすいので、あるケースを例に、自分にも同様の心当たりがないか、思いを巡らせてみましょう。
「自分なりに工夫を凝らしてものを作るのが好き」という内欲を持っており、その内欲をベースにプログラミングを通して内欲を満たせるITエンジニアに就職した人がいるとしましょう。その人の葛藤の変遷を描いていきます。
- 純粋な内欲の発生
最初は「プログラミングが純粋に楽しい」という内欲が存在していました。 - 社会的評価への不安
「コードばかり書いていても出世できない」「技術職だけだと将来困る」という外部からの声を聞くうち、自分の内欲を素直に表現することへの不安が生まれます。 - 動機の再構築
本音は「コードを書き続けたい」であるにもかかわらず、「マネジメントを通じてより広く技術に貢献できる」という社会的に受け入れられる動機付けを行います。 - 表面的な自己正当化
「管理職になれば、もっと大きなプロジェクトに関われる」と、自分自身にも納得できる理由を作り上げます。 - 社会的評価の獲得と空虚感
管理職としての評価は得られますが、本心との乖離による空虚感や「何か違う」という感覚が消えません。 - 本音表出の阻害
「技術職に戻りたい」という気持ちがあっても、「出世を放棄する」という社会的評価への恐れから表現できません。 - 自己認識の混乱
本来の内欲と加工された動機の間で揺れ動き、「自分が本当は何を望んでいるのか」が曖昧になります。 - 継続する不満足感
表面的には成功しているように見えても、内面の充実感が得られず、慢性的な不満足感を抱えたまま日々を過ごします。
この悪循環の根本には、「本当の自分の欲求」より「社会からどう見られるか」を優先する思考パターンがあります。加工された欲求に基づく選択を続けるほど、本来の内欲との距離は広がり、自己理解が困難になっていきます。
3. 報酬変容型
最初は純粋な内欲で行動していたのに、外部の環境や評価、報酬が変化することで、徐々に行動動機が外欲にすり替わっていくタイプです。
このすり替わりの流れは非常に巧妙で、本人でさえその変化に気づかないことがほとんどです。なぜなら、行動自体は変わらないのに、その行動の「意味づけ」や「動機」だけが徐々に変質していくからです。
他の外欲タイプと違って、このパターンの厄介さは「純粋な内欲から始まっている」ことにあります。だからこそ自己欺瞞に陥りやすく、自分でも気づかないうちに本来の喜びの源泉を見失ってしまうのです。
あなたが何か熱中していた活動が、いつの間にか義務感や他者からの評価を求める行為に変わってしまった経験はありませんか?それがまさに報酬変容型の特徴です。
この変化は、SNSの「いいね」や「フォロワー数」に振り回される現代の行動パターンにも顕著に表れています。最初は純粋に「写真を撮るのが好き」だったのに、
次第に「いいねの数」「フォロワーの反応」が気になり始め、最終的には「いいねを集める写真」を撮るようになる…この変化の過程で、本来の「写真を撮る喜び」が薄れていくのです。
それでは、この内欲から外欲へのすり替わりがどのように進行していくのか、具体的な流れを見ていきましょう。
例として、内欲から外欲にすり替わっていくケースを見ながら、説明していきます。
■ 出発点:純粋な内欲
最初は、自分の好奇心や楽しさ、成長意欲といった内側からの欲求に動かされて行動を始めます。
例)
- 世の中の理論を探求したい
- 音楽を通して自分の思いや価値観を届けたい
- 部活でやっているスポーツを極めたい
この段階では、「できるようになって嬉しい」「工夫して上手くいくのが面白い」といったプロセスそのものに対する喜びがモチベーションの中心にあります。
■ 報酬の発生:外的フィードバックの介入
行動を続けていく中で、その行動が評価される場所に移ると、周囲からのフィードバックが生まれます。
先ほどの例で行けば、
- 世の中の理論を探求したい→研究機関に入り研究成果によって評価をされる
- 音楽を通して自分の思いや価値観を届けたい→レーベルと契約し、アーティストとして世に作品を出すことで反響を得る
- 部活でやっているスポーツを極めたい→プロになり、より技術を追い求める世界の中で名声や報酬を得る
■ 報酬のスライド:目的のすり替え
この外的報酬が増えてくると、無意識のうちに動機の構造が変わり始めます。
- 研究機関に入り研究成果によって評価をされる→研究結果の納期や学位の取得に報酬がすり替わっていく「わき目も降らずに研究だけに没頭してたいのに…」
- レーベルと契約し、アーティストとして世に作品を出すことで反響を得る→応援してくれるファンの声やブランディングに縛られる「その時々の思いを自由に表現したかったのに…」
- プロになり、より技術を追い求める世界の中で名声や報酬を得る→成績や周りの選手との比較をし始める「もっとのびのびスポーツだけに身を投じたいのに…」
つまり、もとは評価指標にもなかった“他者からのフィードバック”が、目的にすり替わっていくのです。
そして最終的に「そもそも何がしたかったんだっけ?」と迷い始めます。心因性のスランプやイップスはこれらが原因ですね。
多くの人は、社会生活を送っていることで、この3タイプのいずれか、あるいは複数の外欲ベースで自己認知をしている可能性が高いです。
外欲ベースの人生設計が引き起こす問題点
ここまでの内欲と外欲、それぞれの定義とその形成過程を踏まえ、なぜ外欲ベースで人生設計を行うと問題なのか、その問題点を言及していきます。
1. 報酬タイミングのズレ
外欲というのは、結果ベースの動機です。つまり、報酬が得られるのは”目標を達成したその瞬間だけ”です。それまでのプロセスは、我慢・努力・忍耐の連続になります。
さらに厄介なのは、外欲によって得られる報酬が、「自分の内側から自然に湧き出る満足感」ではなく、「他人からの評価」や「目に見える成果」など、外部の基準に依存している点です。
たとえば、年収を上げたい、いい車に乗りたい、有名になりたい──こういった目標を達成しても、その喜びは一時的なものに過ぎません。なぜなら、その報酬は「他人と比べて優れているかどうか」で成り立っているからです。
すると、「もっと上の年収の人がいる」「もっと高級な車に乗っている人がいる」といった具合に、次々と上の基準が現れてしまいます。
つまり、ゴールを達成したとしても、すぐに次のゴールが必要になります。満足する暇もなく、「もっと、もっと」と常に追い続けなければならなくなるわけです。
最初のうちは「やる気がある」「目標がある」と燃料を持って取り組めますが、その内燃料が尽きると、途端に頑張れなくなります。なぜなら、プロセスの中に報酬が存在しないからです。そして、そのプロセス自体も決して”幸せな時間”とは言えません。
達成したその瞬間に、ほんのわずかな幸福感があるかもしれません。しかし、それは瞬間的で浅いものであり、人生全体を通しての本質的な幸せにはつながりません。
2. 自己価値の外部化
すなわち、自分の価値観ではなく、他人の価値観という”他人のエンジン”で人生を走ってしまっている状態です。
たとえば、「起業して年商1億を達成したい」という人がいます。
一見すると自信に満ちた前向きな目標に見えますが、その内面をよく掘り下げてみると、「人と競うのが嫌い」「のんびり自由に生きたい」といった本音を抱えていたりします。
そうした人に「なぜその目標を目指すのか?」と聞くと、多くの場合、「かっこいいから」「羨ましいとおもわれそうだから」など、”他人のフィルターを通した価値”が根拠として出てきます。
それは、自分の内側から湧き出た「本当の欲求」ではなく、周囲の期待や世間の常識を反映した”借り物の夢”なのです。
このように、自分の内欲が不明確なまま他人の期待に応える人生を続けてしまうと、人生のどこかでふと立ち止まったとき、強烈な虚無感に襲われます。
「なんでこんなに頑張ってきたんだろう」
「そもそも、これが自分の幸せだったんだっけ?」と。
たとえ世間的には成功と見なされる成果を手に入れていたとしても、心の奥底では、どこかずっと満たされない感覚が残り続けるのです。
もちろん、外欲、つまり社会的な評価軸というのを考慮するのは、社会生物である人類として幸せを追い求める上で非常に重要な観点ですが、
そもそも自分の幸せを考えていくことが重要なので、そういう意味でまず自分個人で切り出して幸せを考えて、それを基軸に社会性を考慮するという順番を間違えてしまうと、外欲ベースで人生設計を行い、結局幸せが遠のいていくという問題点が発生します。
よって、まずは自分の内欲というのを改めて整理し、言語化し、自分の「幸せの設計図」として把握することが重要です。
では、その自分の内欲というのはどうやって見つけるのか、その方法を次回から説明していければと思います。
次回の内欲の見つけ方を理解する上での重要な前提となるので、何回も音声学習して少しでも理解を深めてもらえればと思います。
加えて次回の個々人の内欲を深掘りするための事前準備として皆さんにやっておいてもらえると良いかなと思うのは、自分の過去を振り返る、棚下ろしするということです。
次回の内欲の深掘りに向けた事前準備として、皆さんには自分の過去を振り返る「棚下ろし」作業をしておいてほしいと思います。
具体的には、以下のような経験や瞬間を思い出してみてください。
- 「没頭した経験」
- これまでの人生で、「気づいたら3時間以上経っていた」という活動は何でしたか?
- 疲れていたのに、その活動をするとなぜか元気が出てきた経験はありますか?具体的に何をしていましたか?
- 誰に褒められるわけでもないのに、ただ純粋に楽しくて取り組んでいた趣味や活動はありましたか?
- 一人でいる時間に、何をしている時が最も充実感がありますか?
- 「強く感情が揺さぶられた瞬間」
- 映画や本、音楽などで、思わず涙が出てきた場面は何でしたか?それはどんな状況でしたか?
- 人から言われた言葉で、今でも鮮明に覚えている「傷ついた言葉」はありますか?逆に、人から言われて心から嬉しかった言葉は何でしたか?
- 「これは絶対に許せない」と感じた出来事や状況を具体的に思い出せますか?
- 友人や家族との関係で、どんな時に最も強い怒りや不満を感じましたか?
- 「価値観が表れる選択」
- 突然まとまったお金が入ったとき、真っ先に何に使いたいと思いましたか?
- 今まで出会った人の中で、「この人のようになりたい」と思った人の特徴は何ですか?
- 友人や知人の生き方で、「いいな」と羨ましく思ったことはありますか?具体的にどんな部分ですか?
これらの質問に自分が当時なぜそう感じたのかを意識的に目を向けながら答えていくと、自分の中に一貫したパターンや傾向が見えてくるかもしれません。
そしてそのパターンの背後には、必ず「あなたの内欲」が隠れています。
特に重要なのは、「社会的に評価されるかどうか」を一切考えずに、純粋に自分が感じたことや経験を振り返ることです。このデータを事前に整理しておくことで、次回の内欲の見つけ方のワークがずっと取り組みやすくなります。
ぜひ準備をしてみてください。